ツーアウト満塁空振り三振

生活密着型ウェブダイアリ1.0

選べるのがよい

あんまり社会的なことを書かないようにしてるんだけども、私にとってはライフスタイルみたいな話なので書いておこう、選択的夫婦別姓の話です。最近また話題だし。

この件もちろん賛成です。ってか反対する意味が全くわからないんだけども。選べることってよくない?選択肢が多いって良くないって話です。世間の選択肢を広げることに反対が起こるのは何故…。そもそもオットと同じ姓でも別姓でも記号が変わるだけの話じゃんかと思うわけです。ぶっちゃけ名前って記号じゃん?とかも思ったりしてる。(そしてこの問題って本質的には名前云々の話じゃなくてイエ制度の話じゃないかとも思うけどそれはここでは触れない。)

そんな私は改姓しましたが、それはオットになる人と同じ姓になりたいというわけではなく、実家の姓(の漢字)があんまり好きじゃなかったから変えられるチャンスがあるならいいなと思っただけです…。そのくせ、仕事では旧姓を使用して、転職(転社)して旧姓を名乗る必要もないのに今でも旧姓で仕事をしてます。だって会社がいいって言うから!なんでか。記号だからです。もう少しわかりやすく言うと、仕事用の名前があると便利だから。ペンネームとかつけられると便利なんだけど、会社員はそうも行きません。でも仕事とプライベートで名前を変えられる、そのチャンスが結婚による改姓だったんですね(まあ後から気づいたんだけど。結果ラッキーじゃん!となった)。

そしてオットの姓を好きになれたというのも大きい。最初の文字が丸い音で全体的に可愛らしい響きだし文字数が少ないと言うのも魅力。最も、オットと同じ姓になってグループ名というかプロジェクト感があるのもうれしいし楽しいことではある。でもそれはただのチーム名であり、チーム名が同じだから家族って感じるわけでもないような気がする。よくここは反対派の人たちが言うところだけど(Twitterとかで見る)、姓が同じでないと家族になれないなら、私は母や妹ともう家族ではないのか(妹も結婚して改姓してる)。そんなことないんじゃないかなー、私にとっては間違いなく家族だ。離れて暮らしてるから姓だけでなくライフスタイルも違ってきてるけど、それでも家族だしなって思ってる。反対派の人たちはこの辺りどう思ってるんだろ、女は実家は家族でないと思えと言うことなんだろうか(そうなのかもね)。

亡くなったうちの父は生きてれば75歳ですけど、母と結婚する時に◯◯家というのはやめよう、その代わり個人名を入れようと。家は関係ない、個人と個人が結婚するんだよと言ったらしいです。この話を聞く前にも父から「結婚はしても、嫁には行かなくていいんだよ」と言われたことがあります。団塊の世代としてはなかなか進歩的なのでは、別姓とかも理解を示しそう、と思ったりもしますがまあ少なくとも別姓が話題になった頃からは話せてないので分かりません。

まあ私は父の影響もあってかそんなスタンスですけど、別姓を推す人たちから「屈した人」に見えたりしたらやだなーとも思ってますし、姓を重ねたからこその家族!みたいな人たちとは一線を画したいとも思うわけで、とにかくみんなが好きなように選べるのが一番幸せじゃん…と言いたいだけなのでした。

ま、こんなこともたまには。