ツーアウト満塁空振り三振

生活密着型ウェブダイアリ1.0

 しーんじーることーがすべーてぇ


 今日はちょっとだけ「信じる」ってことについて考えてみた。「信じることがすべて」なんて、言葉で言うのはたやすいし、歌うのも簡単。(♪ラーブソーゥスウィーイー)←うざーい。

 でも本当はものすごくパワーの要ることで、私なんかは弱い人間なので、根拠や信じたことに対する報い、もしくはその可能性がないと多分信じることが出来ていないんじゃないか。根拠といったって確固たるものであるとは限らないし。深く深く信じた分、ひっくり返されたとき、つまり「裏切られた」時のショックが大きいから、深く信じるなんて私には怖いことだ。じゃあ何も信じてないかというと全然そんなことはなくて、いろんなことを適度に信じて生きているんだと思う。バランスよく。

 裏切りなんて本当にさりげなくて(さりげなく行われるURAGIRI)裏切ったほうは裏切るつもりがなかったかもしれないのに、それでも裏切りは成立してしまうわけで。私はどっちかというと、信じてもらっていたにもかかわらずサクッと裏切ったことのほうが多いんじゃないかと思っている。この自分の行った裏切りに対してはいつか罰が当たるんじゃないかと思いこんでいる。(これにも根拠はないんだけどね)

 だから一口に「信じてる」って言っても何を信じるんだろう。「信じてたのに!」って何を信じていたんだろう。「裏切り者」って言われたとしても、何を信じられていたんだろう。信じるって言葉は動詞だけども、感情を表す言葉なんじゃないかと思ったりする。

 なんか抽象的過ぎる。や、もやもやするキッカケになることはあったんだけど、それについて言及したくないんだなー。書きっぱなしで失礼しました。