ツーアウト満塁空振り三振

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気になる地形(下高井戸付近)

私の日常は会社に行って仕事して、家に帰ってご飯など家のことをやる、合間にジャニか山かって感じなので、心身ともに健やかで余裕があると知的好奇心がようやくむくむくと湧き上がってきます。お盆で少し時間の流れも緩やかだったし、オットが数日不在でごはんは適当にやればいいしで気が楽なんでしょう、気になる地形に出会ってしまいました。

Marcoid:garadannikki)さんのこちらの記事がたいへん魅力的。下高井戸駅松原駅(東急世田谷線)の間くらいに不自然な幅の道が登場。
garadanikki.hatenablog.com

不自然な道幅といえば暗渠サインじゃね?ということで下高井戸あたりのGoogleマップを見てみると…おやおや色々気になるな。


この辺。
Marcoさんのおっしゃってた道はこの画像の左下あたりの道です。幅が変でしょう。

印をつけた右上あたりの緑地部分、これは弁天児童公園という世田谷区の公園ですが、元は厳島神社があり、のちに菅原神社の境内に移設されてしまったそうです。

1940年代の航空写真を見てみると…赤枠が厳島神社の弁天社。水色の枠が上の不自然な道幅の道。まだ道幅はおかしくない。
f:id:kwaico:20190816224216p:plain

1960年代の航空写真になるともうありますね。
f:id:kwaico:20190816224222p:plain

あー!この20年くらいの間で何があったんでしょうね!!!!知りたすぎる!!
弁天公園はもとは弁天池がありそこを源流とする暗渠があるみたいだし、そこにあった弁天社が移設された菅原神社も気になる!!!

というわけで実際に行ってみました。謎がすべて解けたわけじゃないけど百インターネットは一見にしかず。

真夏の暗渠歩きは厳しそうなので早朝に。朝6:50くらいから歩き始めました。

味わい深い。

まずは気になりポイントの1つ、弁天池の跡地。暗渠の水源地とされてる地区です。

普通の公園…。

なので、ここから移設されたという弁天社を見に菅原神社へ。

名前の通り道真さんと牛さんがいらっしゃいました。


松原の菅原神社

境内に朱塗りの社殿が目立ちます。江戸時代、石井兵助という人が寺子屋を開き、学問の神様である菅原道真公を祀ったのが始まりだと伝えられています。
(以下略)

こちらは神社復興の記。

長いので要約しますが、昭和38年1月に安藤某さんが区議会の人のあっせんで弁天池のある土地を児童公園として世田谷区に提供し、その得たお金で菅原神社に移設したそうな以下略。安藤某さん、どうして移設を…。当時はいいことをされたのかもしれないけれど、昔のままにしておいてほしかったな…。

気を取り直して、その昭和39年にできたという厳島神社


厳島神社

御祭神は市杵島姫命(通称七福神の一柱弁財天)といい天照大御神御子神にあたり、元禄十五年の記録によりここより西北五十米のところ(現在弁天児童公園)の池の中島に鎮座し里人の信仰を集めていましたが昭和三十九年にここに社殿を移し今日に至っております。授福・習いごと・女性の神様・家内繁栄の神様として広く信仰されています。(以下略)

5月に弁天まつりがあるんですね。そういう地元のお祭りに長らく縁がないので楽しそう、地元に欲しいお祭り。

弁天児童公園から始まる暗渠は改めて記録するとして、例の木になる道幅の道にも寄ってみました。

確かに広めの道。

正面に見えた歯医者さん?の建物の横の細い道をいくと
また広い道。

なんでやねん。

振り返ったところ。出っ張ったところの端は駐車場になってる。

ここからは推測ですが…。

1940年代にこの辺りの道はとくに一部が幅広くなっている様子はなく、20年後の航空写真でこの道幅が出来ている。歯医者さんとその並びのおうちが出っ張ったのではなく、広くなった道の方が凹んだ、というか元あったものがなくなったのでないかと思いました。

もう一度現在のGoogleマップと1960年代の航空写真を見てみると(比較してないのであんまり変わってないと考えて)、世田谷線を挟んだ反対側に途中で切れた道があり、もしかしたらこことつながる予定だったのが頓挫でもしたのかな?と。だから一部道幅拡張されているのでは?と。

まあ、推測です。そういう妄想しながらの街歩きも、またたのしい。