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葬式とは誰のものなのか

絶賛忌引き中です。しかし普通に出勤する時より朝は早いし疲労感は高い。

昨夜は通夜でした。喪主は叔父になりますが、叔父、叔母、母は挨拶に回ったりするので、私は妹と受付を。これは祖父の時もだったんだけど、受付やってると焼香の際の読経が始まっても外のテーブルで受付作業を続けるんですよね。まあ、祖母の通夜だし親戚や親しい友人だけなので人数としては大したことないんだけど、受付をやってる私たちは一番かわいがってもらった孫娘にもかかわらず、焼香は一番最後になる。それは仕方ないにしても、他所の人が悲しみを分かち合ったりしてる横で、泣くことも思い出に浸ることもせず淡々と受付事務作業を続けなければならないのはなんだか理不尽だわと思った。母や叔父たちも実は同じで、一番悲しんでるはずの人たちが人に気を使って、ゆっくり食事も出来ず頭を下げ続けてる。葬式は残された人たちのものだと思うんだけど、一番悲しみたい人たちが悲しむ場所ではなく、悲しむ場所を提供する側になるわけで、変なのーと毎度思っている。

父の葬儀の時はとにかく忙しかった。喪主である母はお寺のご住職のアテンドにとられてしまったため(またこの住職が話が長い)、私はとにかく挨拶して回った。そこで私の知らない父のことを聞いたり出来たのは良かったけど、祭壇の遺影を見て悲しみに暮れる…みたいな暇は全然なかったな。火葬炉に棺が入った時にああ燃やされちゃうんだとものすごく悲しくなって母と妹と3人で抱き合って泣いたことを覚えてる。そこまで、なんか落ち着かないので実感も伴わなかったのかも知れない。父がいないんだなということは、その後の日常で徐々に実感していった感じ。葬式はただただ業務的なイベントだった。

決して悪いことばかりではないんだけどね、葬式。親戚の人と久しぶりに会えたり、故人について私の知らなかった側面を知れたりするきっかけにもなるのだけど。どこの斎場でもスタッフの方はすごく丁寧だし学ぶことも多いけど、誰のためのイベントなんだろってつくづく思ってしまう。

お題「今日の出来事」