ツーアウト満塁空振り三振

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父の命日

早いもので、父が癌でなくなってから今日でちょうど1年たった。

この1年は、人生における大切なイベントが一気にドドーンとやってきたようだった。この頃の父に関することを、半年前くらいからブログに書こうとして下書きになったままなのだけど、公開するのかしないのか分からないままです。思い出しては書き足してもいるけど、これは完全に私の記録としてかもしれない。忘れないだろうけど、記憶が薄れていることも否定できないし、書けるときに書いて残しておこうと思う。


そんなわけで父が亡くなってからのことを。

長いし、自分語りなのでたたみます。

 

 

親を亡くしている人は、多いのだという気付き。

当たり前のことなのだけど。自分が体験してはじめて気がついた。そういえば…学生時代からの仲良しは、学生時代にお父さんを亡くしているし、高校時代に友人のお父さんのお葬式にも行ったことがある。忌引きが明けて会社に行ったら、お母さんを亡くしているひとが同じチームに3人もいた。まったく知らなかった。しかも最近また同じチームの同僚がお母さんを亡くして忌引きで休んだばかり。
自分が主要登場人物になると、悲劇のヒロインみたいな気持ちにもなるけど、親を亡くすということはそのへんによくある話だった。この事実は私が早めに立ち直れたひとつの要因だと思っている。「みんな、経験していることなのだから」というふうに。しかしうちのチームの、「親を30代で亡くしてる割合」は高すぎると思うので・・・なんだろ、お払いしたほうがいいのかな。当人たちはまったくもって元気だけど。

「死」に敏感になった

言葉としての「死」を忌避しているわけじゃなく、あえて今までどおり「マジ死にそう」とか使ってるけど、明らかに意識は変わっている。「死んだら、なくなっちゃうんだな」と思って使ってる。その先に、誰かの悲しみがあるのだなと思っている。でも誰でもいつかは死ぬんだなとぼんやり思っている。だから忌避する必要もない。ただ、とても敏感になったなと言うだけのことです。
死もそうだけど、癌はもっとリアルな意識するようになった。芸能人など人前に出る人が、癌になって痩せていく姿を晒しているのは、やはりつらい。(みんなつらいけどね。)それからがん治療についても、うちの父はすでに化学療法なども出来ない状態になっていたので、放射線治療を拒否するなどの話が出たりすると、「治る可能性のあるものは、やっておけばいいのに…」と言う気持ちになってしまったりもした。やっぱり、家族としては美しく死ぬよりも、がんばっても生きていてほしいもの。治るならね。

夫婦のニコイチについて考えた

父の一周忌を待たず、私は結婚した。あともう少し父ががんばっていてくれたら、オットになった人のことも父に会わせることができたのに。会ったらきっとウマがあったんじゃないか…。唯一の後悔はこのこと。悔やんでも仕方がないので、このご縁は大切にしようと思うだけなんだけど、長いこと自分にいなかった「人生の伴侶」を得たことで、母の喪失感を想像できた。些細なケンカはしてたけど、仲良し夫婦だったし、母にとっては人生初の独り暮らしのスタートでもあり、寂しさは私の比じゃないだろう。私にとっては、両親のことが「親」であり、母だけだと「欠けている」と思ってしまう。この人たちは私の中ではニコイチだったんだなあと、つくづく思う。
オットの実家との顔合わせのときに、こちらは母だけだから、シンプルなシチュエーションなだけに、とてもそれを感じてしまった。父が亡くなる前に「俺が死んだら、あの子は父親のいない娘になるんだな」と言っていたという話を聞いて、私は大丈夫!と思ったけど、考えが足りなかったかな。私自身のことじゃない、私の目に映るお母さんのことだった。結婚したけど、披露宴をそんなにやりたいと思わないのは、それが原因かも。ひとりで祝ってくれる母が寂しく見えて、私が悲しいんだ。招かれた人も、ああ、お父さん亡くなったんだね…と思うだろうし、そんな披露なんて別にしたくない。大切な人たちに個別に報告して、個別に祝ってもらえばそれでありがたい。まあ、これは時間が解決していきなり披露宴やりたいとか言い出すかもしれないけど。
なんか自分の結婚のはなしになってしまったな。

これから毎年9月9日はやってくるので、その度に家族について考えることになりそう。今生きている人たちをまず、大切にしないとね。ホトケとして奉られるのを嫌っているはずの父だから、このほうが喜んでくれるんじゃないだろうか。