ツーアウト満塁空振り三振

生活密着型ウェブダイアリ1.0

迷宮フライデイ

こんにちは。

金曜日はとりとめもないことを書く日。

宗教を持っていたかったなと思うことがある。葬式仏教で手を合わせるし、神社にお参りもする。騒ぎはしないけどクリスマスもハロウィンもあってもいいと思う。大人が仮装して騒ぐのには参加したくないし場合によっては迷惑も感じるけど、それはまた別の話。

高校生の時にアメリカのオレゴン州でステイしたホストファミリーがとても敬虔なクリスチャン(ではなくもしかしたら新宗教的なものかもしれないけど)だった。私が落としたコンタクトレンズを見つけてくれたことに対してお礼をいったら、「それはジーザスのおかげだよ」と言われたことがあり、目からウロコポロポロ。Religious、敬虔という言葉を初めて実感した。(ちなみに私の通っていた高校は浄土宗で、校訓のひとつは「敬虔真摯」だった。)

心の拠り所にできる、信じられるものが宗教なのだとすれば、ジャニーズ…?などと考えるけど、ジャニーズの仕組みは信用してなくて、アイドルのエンターテイメントに敬意を払っているだけだから、私にとっても宗教ではないのでしょう。もちろん漠然と、家族や友人たちが平穏で幸せに過ごせますようにという祈りのようなものはある。誰に祈るでもなく、自然とかそういうようなものに対して畏怖の気持ちも込めて祈ってるのかもしれない。

宗教を持ってたらよかったと思ったのは、何年か前の仕事が超ハードだった時(休みがまともに取れず、かつ謎のパワハラあり、良い出会いもなく孤独…みたいな時)と、父親が亡くなった時。前者は単純に何か自分を強くしてくれる、頼れるものが欲しかったのと、後者は好奇心から。人の死を、宗教がどうやって受け入れさせてくれるのか知りたかったから。残念なことに無宗教だったので、山に行ったり、ジャニコン行ったり、友人と会ったりすることで乗り越えた。

でもそういう「宗教心」みたいなものは、人は持ってていいと思ってるし、それで困難を乗り越えている人たちを羨ましくも思う。

先日、同世代の物書きさんが亡くなったニュースに衝撃を受けた。著作はナナメ読み、たまにフィードに流れてくるあまり辛くならないものを選んで読んでいた程度なので、私はファンでも読者でもないのだけど、「優しくてかっけーな」と思っていた人ではある。そんな同世代(生まれ年が同じ)の女性の孤独死は私を暗くさせた。いつでも私に起こりえることだ。私の場合は何かあったらオットが見つけてくれると思うけど、オットだって出張や旅行でいないこともある。倒れたところを見つからずに死んでいく可能性はあるのだ。

40歳の死は、周囲を動揺させる。予告のない死はいつでもそうだけど、年齢が若ければ特にそうだし、周囲にいる同年代はあまり起こらないことなのでさらに動揺も大きいのではないか。余命宣告を受けていた父が亡くなったのだって悲しかった。心の準備が出来ていない場合はどうしたらいいのだろう。

上記の女性の場合でも、みんなどうやって乗り越えていくんだろう。ココロにぽっかり空いた穴をどう塞いでいくんだろう。それはとても孤独な作業で、誰々のほうがつらいとかではなく、その人のなかにある故人についての作業。当人以外の人が口出しできることではないのだろうと思う。


なぁんてことを書いたのはいろんなキッカケがあるのですが、このかたのこの投稿が直接的かもしれない。私、こういうこと、最近あんま書かないんで珍しい。

aska-burnishstone.hatenablog.com

20年以上前、17歳の私は彼の言葉を拠りどころとしてました。若い頃から「無宗教である」とぼんやり思っていたのは彼の影響。

僕が死んだら もしも死んだら
誰かの夢が 朝になった
そう思えばいい

「迷宮のReplicant」の歌詞。

迷宮のReplicant CHAGE & ASKA - 歌詞タイム

彼が世間を騒がせた罪のことは私は違った意味で許していないし、ブログ読んでたまにイライラもする(読んでるけど)(スターとか絶対つけない、嬉しがらせたくない)でもこの歌詞は宗教的でとても好きだ。初めて聞いたときからずっと惹かれ続けている。またゆっくりと聴きたくなった。

以上、金曜日の戯言でした。

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