ツーアウト満塁空振り三振

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今日の日はサヨウナラ

特に何があったというわけではないので心配しないでください、とまずはお願いから。

昨年の24時間テレビのなかで「今日の日はさようなら」というドラマが放映された。主役は大野智。私は嵐が好きで、だから大野くんも好きで、脇役で出ていた山田涼介くんも好きで、ただそれだけの理由で見たドラマだった。ドラマのテーマにはまったく向かい合おうとしなかった。ドラマは作り事だし、大野くんは多少不健康そうだけど元気に生きてるし、今向かい合わなければならないテーマというわけでもなかったからだ。でも近頃はあのドラマのことを少し思い出すようになった。

何しろ不真面目にしか見てなかったので細かいストーリーは覚えていない。でも、主人公が若くしてがんになって、治って、再発して、最後は自宅で家族に看取られて死ぬ、というストーリーだった。恋人の役名が私の名前と一緒で、主人公の大野くんが私の名を呼んでいるようでこそばゆかったことも覚えている。(てかそんなことばかり覚えている。)ドラマの中で、がんは、治る。その後、再発する。その間に主人公が死を受け入れていく。途中で恋人は離れていく。それを彼は追わない。彼女は「怖かったのだ」という。そうだろうと思う。愛する人、大切な人の命が、徐々に失われていくのってどんな気持ちだろう。

主人公は自宅療養しながらも、少しずつ命が削られていく。家族はそれを見守る。とても美しい画だと思う。家族は本当はどう思っているんだろう。どう見ているんだろう。失われていく命って、どういうふうに見えるんだろう。

多分、想像は出来る。でも理解は出来ていない。突然失われるほうが、よほど判りやすいような気さえする。(それなら経験したこともあるし。)ましてや、自分の命が削られていくのを実感するのって、どんな気持ちだろう。私はあほだから、想像は出来るけど、体験しないと理解が出来ない気がする。そんな気持ち、当分理解できなくていいと思うけど。

ざわざわする気持ちをぼんやり綴ってみる。そんな月曜の夜もあります。