ツーアウト満塁空振り三振

生活密着型ウェブダイアリ1.0

たりない頭じょうぶな身体

インターネッツをしていると、特にツイッターなどをしていると、ジェンダー論的な言説によく出会う。見るたびに「ふええええ、みんなちょうアタマいいなあ…」と後ずさってしまう。その切り口!でしたか!ってとこでジェンダーの話が出てくるからだ。別にそういった人を批判したいとかそういう話じゃなくて、純粋に本当にみなさん頭がいいなあと思うの。私はそんな難しいこと考えて生活してないからなあ。ジェンダーに関してだけじゃなくて政治的な話も。どうしてこんなに興味が持てないのだろうと思ってしまう。一般的な社会人としてそれなりに問題意識もないわけじゃないんだけど…。もちろん私だってかつてン十年前は女性学の講義など聞いて「男社会許すまじ!」とか思ってなかったわけじゃないですけど、実際に男性もたくさん居る社会で働いていると、そんなことも忘れてしまうと言うか…。それより明日の売り上げのこととか、来月の計画のことだとか、いきなりな人事のこととか、部署内での評価とか、瑣末なことに追われて社会生活を送ってしまう。目の前のことにばかり囚われていて、本当に頭がよろしくないと思う。むしろそういった社会を生き抜く方法として、自分が女性であってよかったぜと思うことも、それを利用できるような環境に自らをおいたりもしてきたと思う。それは私のサバイバル力ということになるんだろう。スマートではないかもしれない、でも実際的であるとは思っている。(今回の話とはずれるのでカッコ書きするけど、そのせいでどんなに評価をされても「どうせ女子枠」と思う卑屈な精神も併せ持っています。)

うちの会社に女性向けサービスを請け負う部署があって、スタッフは大半が女性なんだけど、その部署の長は若手の男性である。生え抜きの女性じゃなくて、経営感覚のある人がおさまったって感じなのかもしれない。でも女性向けサービスを男性がやって悪いと言うことはないし、実際にその男性以上に長にふさわしい能力のある人が居るようには思えない。女性だから長になれてないんじゃなくて、長になれる女性が居ないだけなんだろう。まだ育ってないんだろう。会社も世間の目があるから、女性を積極的に上長に登用していく努力はしてるんだろうけど、なかなか難しいよね…と。逆差別で女性が長になっても能力が伴っていない場合は悲惨だしね…。男性でも女子より女子力高くて仲良しごっこやってたりするけどね…とかなんか話が逸れてきたけど、会社がメインの社会である人たちは、ジェンダーなんて言葉を口にする機会もそんなになく、ひたすらがしがし働いてるんじゃないかと思う。

ちまたのジェンダー論はだから、能力のある人たちのなかで行われていることなのかもしれない。そしたらやっぱりそのクラスには私は及ばないし、別の世界、次元の話かなあと思ってしまう。もしかしたら結婚したり子どもがいたりしたら違うのかもしれないけど。それでも私は多分どちらかと言えば凡庸なほうにいるような気がする。そのほうが、楽だな。それも私のサバイブ力かもしれない。